2013年09月03日

嫌いな勉強 されど 必要な勉強

勉強はしたくない  けどしないといけない

 

不登校になると一番に頭に浮かぶのが

 

勉強が遅れる!と思う人が多いと思う

 


私もその一人だった

 

子供にとっても 最後まで重くのしかかる問題

  

でも 最高学歴で  

 

学年10位以内に入っていないととか

 

思わない限り 大丈夫

 


自分に見合った 勉強方法で必要に応じて

 

学習してほしいとおもいます

 


子供本人も なぜ勉強が必要なのかと

 

理由がわかれば ちゃんと学習を始めると思います

 


なぜ 学校へ行くのか


なぜ 勉強をするのか

 

そこのところを親子で話し合う必要があると思います

 

私も子供に

 

「お母さんは 今 中学や高校で勉強したことが役立ってるの?」と

 

聞かれましたね

 

私も同じ年頃のころ 勉強は何でするのか 思っていたように思います

 



不登校は デメリットばかりのようにも思えますが

 

親子で話し合う場をうまく作り 話し合いをすると

 

今までより 親子がわかりあえたり

 

子供のもやもやも晴れて 自分を考え直す時間ができ

 

自立する気持ちが早くなったり

 

良い面もあるとおもいました。

 



勉強について 時間をかけて話し合い 

 

本人にあった学習を探せたらいいなとおもいます

やっぱり 中卒でもいいと思わない限りは

必要になると思うので

家で家業がある場合とか

職人修行に出る場合は必要ない場合もあるかと思いますね


いろんな道がありますからね







posted by えんじ at 19:04| 次男のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月25日

夏休みをどう過ごしたらよいのか

親にとっても 子にとっても
夏休みは ホッとする感じでした

その反面 親はこの長期の休みでなおさら登校したくなる
そんな心配が過ぎります

でも 辞めましょう!!

今日 一日を楽しく 穏やかに過ごせることを考えましょう
そうすればまた きっと未来に繋がります

この長期の夏休みはゆっくり自分を考える時間としましょう

そんな のんきな事で 受験は大丈夫なのかと思うでしょう

進学と子供の心と比べたら
私は子供の心を選びました

同級生の親御さんの中傷と近所の目を気にするより
私は子供の心を選びました

担任の先生の学習への強い 指導よりも
私は子供のペースを選びました

守れるのは親しかいないと思ったからです

夏休みは好きに過ごさせました

ちょうど義父が病気になり 旅行などには連れて行けませんでしたが
病院へ見舞いに一緒に行って
帰りに買い物や外食をしたり

あいにく見たい映画などはありませんでしたが
映画を見る機会もあるといいなと思いました。

好きなアーティストが居たならライブなどもいいと思いましたが
話に乗っては来ませんでした

なかなか 外に出ない気がしましたが
誘うだけは誘い 普通に接することに徹しました

勉強は この時期は無理でした
本人の気持ちの整理がつかないのに
勉強をさせるのは無理でした
本人に勉強する意味が理解できなかったからです

まずは心の安定と不安を取り除くことにしました

心の安定は
親をはじめとする家族が学校へ行かない事を認めること

心の不安は
子供がボソボソと話す会話から不安要素を聞き取り
話し合うようにしました

夏休みだけでなく毎日がその繰り返しだった気がします

中3年になったときも高校への進学も自分なりに考え悩んだ末
1年遅れて定時制への入学でしたが

受験勉強は 始めました

自発的に考え行動することを目的にしました

不安を取り除くことに努力しました

家に安定を確保できるように努力しました

現在は 27歳で車の塗装工です 家内工業の整備工場ですが
勤めて7年になり 一番若いのですが主任さんになりました
結婚したい人も出来て そのうち 外で暮らし始めるようです


高校へ行くことの意味を話した記事

一年間のブランク




posted by えんじ at 11:27| 次男のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月22日

ドキドキの高校生活 その3

次男が高校1年の3学期

新聞広告に一枚の求人募集がありました
それを見つけた次男は 


「面接に行ってくる!」 


なんて 衝撃的な 一言


実は 夏休みの頃 アルバイトに行きたいと
コンビニの面接を受けたことが有りました

研修を受け いよいよという感じでしたが
親族だけで経営しているような近所のコンビニで
(でも結構有名なコンビニ)
経営者のおばさんの話がよくわからないらしく
食い違いが多く しんどいので やめることにして
2週間程で辞めました

その時もコンビニにアルバイトとびっくりでしたが
今回の行動力にはびっくりです

面接先は オープン前の車のパーツ屋さんでした
車 大好きの次男には願ってもないバイト先だったのでしょう

学校からは自転車で行ける範囲で
午前中9時30分から学校が始まるまでの4時位だったでしょうか
面接に合格して
オープン前の店の準備から始めました

ここはその後
店が閉店になるのですが 次男が高校を卒業の時でしたので
それまで よく働きました

良い事も 悪いことも ここで学んだようです

それも本人の自己責任ですから
親は必要以上に干渉はしませんが

悪いことは悪いこととして 注意はしました
根がまじめなので それほどづれたことはしませんでしたが
目に付いたのが 煙草ですね

そこはしっかり 言いましたが 右から左だったようです
現在は27歳になりましたが
自分のからだを気にするようになり 辞めていますね

ちょっと 笑えてしまいます  



posted by えんじ at 23:44| 次男のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月19日

高校生活 その2

驚くほど 休まず 登校しました
クラスの友人を介して 学年が下の友人も出来たり
不思議なくらい 淡々と 登校してました

勉強はさすがに ちんぷんかんぷんで苦労したようですが
なりに宿題やテスト勉強もやってましたね
進学も就職も本人次第と考えていましから
自分で考え 悩んで 相談を求めてきたら
一緒に考えようと思っていました


このころ 義父ががんの再発で体調を崩し入院をしました。
当然ながら 私は義父の世話に明け暮れる毎日で
毎日病院へ行く私を見かねたのか
次男が週に2・3回 自転車で登校して おじいちゃんを見舞ってくれました

すごい! 成長です!

素直に 私は ありがとうと どれだけ助かるかと話しました。
数ヵ月後 義父が他界しました
ここ田舎なので 当時はまだ 部落の手を借りて自宅葬でした
主人に兄弟がいないので子供たちも手伝い 良くやってくれました。

一ヵ月後の法事まで おくすることなく 次男も長女も良く手伝い
部落の方々に 褒めていただきました。


それから何日か後のある一枚の新聞広告がその後の

次男の生活を一変することとなります


この日まで 親がしたことは 見守り 会話を大事にしただけです


続きはまた書きます


posted by えんじ at 18:40| 次男のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月01日

どうしたら以前のように元気に学校に行ってくれるのだろう

どうしたら以前のように学校に行ってくれるのだろう

次男が不登校になって

そんな ことばかり考えていた


本やインターネットで

どうしたら学校に戻れるのか 探してた

でも 自分の欲しい 情報はなかった


学校へ戻る 方法の情報は あるのだけれど

次男に当てはまるような 事例がない


毎日 毎日 時間が有るときは 探してた

一日 遅くなれば それだけ 学校へ行けなくなるんじゃないかと

思って 必死でどうしたらいいのか 探してた


方法が見つからないと 学校へ戻れないのは

自分のせいだと思っていた


もっと賢いお母さんは もっと早く 子供のことがわかって

学校へ行けるんじゃないかと


焦って 不安になって 悲しくなって イライラして 

自分がいやになって


そんな 日々を過ごしてた

なぜ もっと 早く 子供の明日を考えてやれなかったんだろう

先生や周りに 登校させる方法ばかり提案され

登校する方向に向かせられない自分をせめた

でもあの時は そんな自分しかいなかった





posted by えんじ at 16:56| 次男のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

子供はとても繊細 そして親をよく見てる

顔色をみる 悪いことは自分のせい


子供にとって 小学生の低学年くらいまでは


親が1番


その後 基本 親が1番だけど

友達だったり好きな人だったりが

1番だったりする


だから 親のこともよく見てる

親は心配かけまいと 元気なふりをしても

子供はちゃんと見てる


親に心配をかけていると思っている子供は

特にそう

親の元気のないのは自分のせいと

思ったりする


それだけ よく見てるんですよね

私もそれは強く実感しました


だから 母親である私は

いつも笑顔で元気でないと思った

posted by えんじ at 16:50| 次男のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月15日

ドキドキの高校生活のスタート その1

いよいよ高校生活のスタートです。

制服がありませんから私服で登校です。

自転車で約10分ほど掛けて駅まで

一駅で下車、駅から歩いて6分ほどの

近い学校でした。

高校選択の条件の中で私たち親子は

家から近いということもとても重要でした。

やはり登校するということは大変なことですから

学校まで自転車でいけないこともないのですが

息子は電車を利用しました。

私が車の運転が出来ませんから雨の日も

多少の悪天候でも自転車で行きました。

親の気持ちとしてはもしかしたら

やめたいと言うかもしれないと内心ハラハラでした。

ですがそれに反して1年間休まず登校したのです。

天候の悪い日は「今日は休んだら」と声をかけてみるんですが

「今日は休めない授業があるから」とか

「友達が待ってるから」とか言うようになってきました。

夏に定時制高校体育大会の野球のメンバーに参加するなど

本当にイキイキと高校生活をおくっていました。

後で本人に聞いた話ですが

同級生より一つ年上になるので「先輩」と呼ばれるのが

いやだったと言っていました。

妹が進学を考える時に「現役で入れるなら現役で入りなよ」と

話していましたが、4年生になった今は「1年遅れて入学したけど

今の友達と4年間過ごせて良かった」と話しています。

続きはまた明日にします。


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posted by えんじ at 22:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 次男のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月14日

無事、高校合格

定時制高校なので心配はしていなかったとは言え

やはり合格をした時は涙を流して喜びました。

「泣かなくても」と家族に笑われましたが

心からほっとして素直に嬉しかったのです。

入学式はお父さんと息子で行きました。

制服がありませんので

何を着ていくか悩みましたが

紺のブレザーにスラックスでした。

驚いたのは男女の割合が約半々だったこと

それに30代と50代社会人の方がいらしたことでした。

息子はこのお二人の存在は大きかったようです。

気持ちが少し楽になったようです。

いよいよ高校生活スタートで

午後4時頃家を出て5時頃学校に着きます。

それから給食を食べて

5時50分ごろから35分から40分間程度の

授業が始まります。時間割は4時間。

学校が電車の時刻に合わせて授業が終わります。

8時30分頃の電車で帰ってきて

家には9時過ぎに到着でした。

そんな毎日が1年間休まず続きました。

明日はどんな1年だったか思い出して見ます。


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posted by えんじ at 12:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 次男のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月02日

中学卒業後の一年(生活・友人について)

昨年の11月25日に書いた日記中学卒業後の一年(学習)の続きです。

大夫、間が開いてしまいました。

以前の日記とだぶりますが生活面はあまり
中学時代と変わりませんでした。

父親との約束どおり朝は8時までには起きる
ということ意外は自由です。

朝起きて犬の散歩に出かけて
パソコンにむかい
午後はゲームや勉強です。

気が向くと買い物に出かけたりと
祖父の病状がだんだんと悪くなり
病院へ行く回数も増え
主人と行くときは付き添って行ってました。
私が祖父を連れて行くときは
祖母と留守番をしてくれました。

友人とは生活パターンも違いましたので
会う事も無く逆にほっとしている感じでした。
友人に会うことをあまり好んではいませんでしたから

同級生で1人だけ家庭の事情で不登校になった子が居ました。
家の中でバットを振り回したりして大変だったようですが
その家の祖父母が面倒を見たようで
大夫落ち着いた頃
その子が良く遊びに来るようになってました。

不思議と心配では無かったです。
挨拶も出来てちゃんと返答も出来たので
大丈夫と思いました。
なぜその子が荒れたのかも原因を知っていましたので
接し方がわかりましたから心配しませんでした。
最近はどうしているかわかりませんが
連絡がありません。

息子は受験が近くなると焦りも出て
イライラする事も有りましたが
投げ出して荒れるということはありませんでした。

「落ちたらどうしよう」とかよく言いましたが
「大丈夫!!」といい続けましたが
あまり言っていると逆に気を悪くするでしょうから
「落ちたらどうするかまたそこから考えましょ!」と
息子は「・・・・・」でした。

なんてノーテンキな親と呆れたのかもしれません^_^;

ですが落ちても私が受験した方が気持ちはよっぽど楽でした。

定時制高校ですからよほどの事がない限り
合格できると思ってはいましたが
万が一という事も有りますものね。


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posted by えんじ at 16:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 次男のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月25日

中学卒業後の1年 (学習)

中学を卒業して
晴れて自由になった!

次男はどんな気持ちでこの1年を過ごしたのかは
まだ本人の言葉で聞いていません。

私は気持ちが軽くなりました。
受験の事を考えると心配は尽きませんが

担任の訪問もなく
学校と定期的に連絡を取る心配もなく
本当に開放された感じでした。

でも次男は自分の位置づけがなんなのか
中学生でもない
高校生でもない
就職をしているわけでもない

私も人に聞かれたらなんて応えよう??
そんな事を思っていました。
特に聞かれることもなく過ごした気がしますが
「受験生なの」と言ったりした気がします。
あまり会う機会のない方や
TPOに合わせて状況で「高校生?」と聞かれれば
「はい」と言っていました。
次男はなんて応えていたのかな???

朝の起きる時間は今まで通り
学校へ行かなくとも朝は起きるという
お父さんとの約束です。
お父さんもそれを守れば何も言わないと約束
8時〜8時30分の間に起きていました。
早いわけではありません。
土曜日曜は起こしませんでした。
これも中学の頃と同じです。

それと家の手伝いも中学の時と同じ様に
玄関掃除とお風呂掃除でした。
玄関は結構続いたんですが
お風呂は時々でしたね^_^;
それ以外は犬の散歩と犬のご飯をやる事。

家のことをやってもらうというのは
学校へ行っていなくても、働いていなくても
自分の役割が有って、家の役に立っているという
気持ちを持って欲しかったと言う
私の浅はかな、取り越し苦労からと言うか

息子にとってはめんどくさい〜!
ぐらいの事だったでしょうね^_^;

でも祖父が庭の木を剪定をしたりすると
何も言わなくても手伝いに行っていましたね。
祖父が定期的に検診が有りましたから
それに付き添ったり
祖父母の面倒は良く見てくれました。

勉強は塾には行きませんでした。
本人が希望しませんでしたから
学校で購入した受験用の教材と
進研ゼミで中3用を申し込み
わからないところはネットで調べたり
主人と私が頭をひねって
いっしょに勉強しました。
勉強時間は1日4時間くらいです。
一人で勉強する時間が2時間くらい
私や主人がいっしょの時間が2時間くらい

中1・2年の問題を重点的に学習して
応用まではとても追いつきません。
3年間まったく授業を受けてない様な物ですから
基礎問題を解けるようにするのがやっとでした。
土曜日曜はお休みと決めて
普段の日の時間も自分の学習できる時間と
きっちり時間決めはしませんでした。
もちろん勉強しない日も多かったです。
本腰を入れたのも秋になってからです。
それでも十分では有りませんでした。

親にも気持ちの中に
「定時制だからそんなに心配しなくとも」と
言う気持ちがありました。
1年遅らせる事もないだろうとも思ってもいましたが

学校へ行くのは息子です。
それなりに自信も必要で
気持ちの整理も必要だろうと思いました。

受験近くなると
本人はさすがに焦りだしますが
「大丈夫!!」の連呼でした。

「何でこんな勉強が必要なの?」
「お母さん今、役に立ってるの?」と

「今は必要ないかもしれない、でも生きていくうえでの知恵となるから
必要な時があるんだよ」とか
「これからの自分の夢に向かっての通過点で必要な事なんだから
やるしかないの!」と言っていました。

願書は中学に行って
3年の担当の先生にお願いしました。
書類を揃えて中学に持って行き
中学校の方で在校生の方といっしょに
提出してくれました。
受験の日は普通の受験生と同じです。
現地集合、現地解散でした。

次は生活面や友人について書きます。

だらだらと思い出すままに書いております。
もし私でお役に立つなら質問をお寄せください。
経験の中でのことではございますが
出来る限り誠意をもってお答えしたいと思います。
よろしくお願いいたしますm(__)m

心無い書き込みはご遠慮ください。

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posted by えんじ at 18:45| Comment(3) | TrackBack(0) | 次男のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月22日

受験を決め無事中学卒業

現役で高校は受けないと決めた息子は
次の年、定時制高校を受けるといいました。

「定時制高校でなくても全日制でも大丈夫よ」と
担任の先生が話してくれましたが

本人の意志が固く
親の私たちも全日制にした方がいいのではと
時間を掛けて話し合い
学校見学にも行きましたが
「定時制でいい」と言う事でした。

登校し勉強するのは本人です。
通学に時間のかかるのも考え物と思い
近くて本人の納得のいく学校という事で決めました。

学校が決まれば後は勉強です。
面接試験もありますから
その練習や
「自己申告制」という制度も有り
なぜ、登校できなかったか
どうして高校を受験する事にしたか
自分の言葉で申し出る事が出来る制度です。
中学の担任も学校長も見る事は出来ないものです。
素直に気持ちを伝える事が出来たようです。

中学は無事卒業しました。
卒業式は出ませんでした。
校長室で一人で卒業証書を頂きました。
親御さんが変わりに卒業証書を受け取りに来ている方も
いました。当時不登校だった子が4人いましたから。

晴れて中学卒業です。

受験はその年の3年生担当の先生に
連絡を取り受験の手続きをしていただきました。

受験の日は中学の制服を着て受けに行きました。
卒業した体の大きな子の制服を借りて行きました。
(最終的にはいただきました。)
何を着て行ったらいいのかわからず
主人は華美な服装でなければ私服でいいだろうと
言いましたが
それでもと思い
中学の先生に尋ねますと
やはり「制服がいいでしょう」と言う事で
親しくしていただいた同級生のお母さんに
相談して貸していただきました。

本人は本意ではなかったようですが
「目立つよりはいいんじゃない?」というと
「いいよ、なんでも」と
やっぱりやなんだと思いましたが・・・

こうして無事受験して合格いたしました。

定時制ですから
そんなに評価は厳しくないので
よほどの事がない限り合格は出来ます。
それでも合格を知ったときは

私ひとり泣いて喜んでしまいました^_^;

次は中学卒業後の1年を書いて見ます。


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posted by えんじ at 16:58| Comment(2) | TrackBack(0) | 次男のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月21日

高校進学を決めるまで

今日は犬を飼い始めパソコンに興味を持ち始めた
次男について書きます。

次男は毎日、朝晩犬の散歩に出かけていました。
それまでは朝、起きるとボ〜として目が覚めるまで
何をするということもなく祖母たちと
茶の間で過ごして
目が覚めたらゲームやプラモデルといった
日々でした。

犬を飼い始めてからは
目が覚めるまでは同じですが
その後散歩に出かけます。
30分位の散歩を朝晩続けていました。

その頃私は
インターネットを利用していました。
情報収集やショッピングなどに利用していました。
次男も車が好きで
車の情報をインターネットで見る程度でしたが
いろんな話をする中で
私が「ネットで日記を書いてみたら?」と言って見ました。
最初は乗り気でなく「う〜ん」位の返事でしたが

暫らくしてから
「どうやって書くの?」と聞いてきました。
「おっ!その気になった」と思い
楽天のブログを進めてみました。

そこで好きな車の話を中心に
写真を載せたりしながら書き始めました。
だんだん慣れてくると
他の方の日記にコメントを残してくるようになり
大夫馴れていろんな方と楽しくコミニュケーションを
とっていました。

パソコンに向かう時間が増えて
メールも覚えて
担任の先生ともメールで連絡を取るようになりました。
校長先生もパソコンは使用するけれど
メールはあまり得意ではないといいながら
覚えてくださり
校長先生もメールを下さるようになりました。

話すのが苦手な次男にとっては
校長先生や担任の先生とのメールは
面と向かって話すよりも
たくさん話す事が出来て先生方にとっても
私を介して話を聞くよりも
直接伝わる事がとても良かったようです。

そんな中から”車の整備士”になりたいという思いが
湧き上がってきたようです。
ネットでどうしたら整備士になれるかと調べたりする中で
2年間の整備経験があれば試験が受けられる事を
知ったようです。

「高校へ行かなくても整備士になれるんだね」と。
そうだけど、この不況で見習いで雇ってくれる
整備工場があるのかという問題です。

本人は納得がいかないようでしたが
親としてはそういう現実もあることを
話さないといけませんでした。

日記の中でも書いていたようで
いろいろアドバイスも戴いたような
そんな中から専門学校を調べたりして
高校資格がないと専門学校にも行けないことを
納得したようで

「高校へ行って整備士の学校へ行きたい」と
「どこでもいいよ入れるとこで」と
言いました。
中学3年になってからのことでした。

それまでは
一応先生が進学のため
「どうしますか?」と聞きますから
「高校は行きます」と応えていたようですが
親も先生も半信半疑でした。
だからあまりせかす事はしませんでした。
それでも自分なりに勉強を気ままに進めていたので
黙ってみている状態でした。

ですが今回ははっきりとした意志が
見えたので話をしっかり聞きどうするか話し合いました。
まずは現役で受けるのか来年にするのかということです。

なるべく自分で決めさせようと思っていましたので
焦ることなくゆっくりと時間を取りました。

出た答えは「来年受ける」と言う事でした。

中一の秋から全欠席になり
それから2年の歳月が流れていました。

それでも私たち親はこんなに早く
ひとつ段階を超えてくれるとは思ってもいませんでした。

私は目標を持ってくれた事が本当に嬉しかったです。


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posted by えんじ at 18:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 次男のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月09日

次男の入院 驚きの回復

入院して3日目
お父さんが仕事を早退して帰ってきたので
家族で見舞いに行きました。

祖母が心配しているので
会わせてあげたい思いと
ベットで抑えられて人工呼吸器をつけている
姿を見せるのは忍びない気もして
でも1日でも早く会いたいだろうと
皆で出かけました。

病院へ着いて
集中治療室へ入ると

息子はベットの上に座り笑っていました。

「何よ!!もう!」

「どうしたの!!」と思わず・・・・


「うん、どうも、すっかり入院しちゃって」と

照れくさそうに言うでは有りませんか
点滴などは外れませんが
すがすがしい顔で座っているんです。

「のどが渇いたからなんか飲みたいよ」と
私もお父さんも驚いて
まずは看護師さんに話を聞こうと思ったら
ちょうど担当の医師がいてお話を聞くことが
出来ました。

昨晩、自分で人工呼吸器を外したらしいのです。
ですが診察の結果
酸素濃度も自発呼吸も安定値にあるようなので
もう一度つけることはしませんでしたと
食事は何を食べても良いとのことで
明日には一般病棟に移りますと
レントゲン写真も見せていただきましたが
両肺が形になっていました。

驚きました。もう、冗談を言い
祖母や妹を笑わせているのですから

「ほんとに心配させて!!」一喝!!

「わかってるよ、申し訳ない」と

泣き虫の私は目頭が熱くなりました。
看護師さんにも
「良かったね、お母さん、どれだけ心配したかねえ」
見た事無い看護師さんからもエレベーターに乗ろうとしたとき
「よかったですね。若いから回復が早いんですね」とか
皆さんに言って頂いて

喘息の後遺症が残るかも知れないとか
暫くの間、人工呼吸器は外れないかもしれませんとか
ショックな事ばかり聞かされていたので

本当に嬉しかったです。

それから11日間の元気な入院生活が始まりました。

多少呼吸が苦しい事があっても
いつもでは無く日に日に回復するので
本人には辛い入院生活だったようです。

4人部屋の皆さんは60歳以上のお年寄りで
ロビーに行ってもお爺ちゃんやお婆ちゃんで

「お兄ちゃん、何で入院してるの?」

質問攻めだったようです(笑)

おかげ様で今は退院して
バイトと学校を再開して
元の生活が出来ています。

病院は半年間は一ヶ月に一度検査に行きますが
異常なければ完治です。

タバコは絶対吸ってはダメですと
医師に釘を刺されましたが
大丈夫なのかちょっと不安
信じてないわけではないけれど
やっぱり不安

でも信じないといけないのよね。


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posted by えんじ at 22:39| Comment(4) | TrackBack(0) | 次男のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月08日

次男の入院 その後

次男が異型肺炎で入院して
正式な病名が出たのは次の日でした。

”タバコによるアレルギーアレルギー性肺炎”

これが付けられた病名です。

次男はタバコを吸っていたんです。

19歳でバイトをして夜学に通う男子高校生なら
吸っていても不思議ではないでしょう

私も吸わないように話して聞かせていたことは
家族中の知るところ
これは次男に限らず長男にも
「タバコは害はあっても体に良いことはひとつも無いから
吸わないように」話してきました。
興味本位で吸ってみる行為までとがめる気はありません。

次男がアレルギー体質であるなんて気が付きもしませんでいたから

子供たちにはとにかくタバコは良くないと言い続けただけです。

主人も若い頃はよく吸っていました。
ですが体質的に弱い方なので
お酒も良く飲みますから
「どちらかにしたら?」と言う事で
タバコはやめました。

誰しも一度は吸ってみたいものです。
次男の周りでも吸う方ばかりですから
誘われたりする事もあるでしょう

それでも常に吸うようになるとは思いませんでした。
親の欲目でしょうか
仕事帰りに吸ってきてもタバコの匂いは感じませんでした。

たとえ匂いがしたとしても「友人が吸っているから」と
言われれば「そうか」と納得したと思います。


今年の3月頃から吸い始めたということでした。
夏休みの間は一番吸っていたようです。

医師の問診にお酒やタバコを聞かれましたが
「飲みません、吸いません。」と応える母
本人はちゃんと「吸います」と応えたようです。
お酒はたまに飲んでいたようです。

私が医師から病名を聞かされた時に
「息子さんがタバコを吸っていると言われてます」と
またしても私は「そうですか」と力なく応えるだけでした。

でも恐いですね。
あっという間に肺がつぶれてしまうんですから

あのまま家で薬が効くだろうと様子を見てたら
どうなっていた事か考えるとゾッとします。


このときの次男はまだ麻酔をかけた状態で
呼吸器内科専用の集中治療室に寝かされたままです。
それでもちょっと顔をのぞかせると起き上がろうと
するんです。無意識らしいのですが
後で聞いたら何も覚えていないと

続きはまた書きます。



posted by えんじ at 17:18| Comment(1) | TrackBack(0) | 次男のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月05日

次男の入院

8月の終わり

次男が熱を出しました。

夏バテから来た風邪の熱かと思い
あまり気にしていませんでした。

ですが40度近い熱が出て2日間下がりません。
その間かかり付けのお医者様に見ていただき
「扁桃炎からの熱」と言うことでお薬を頂いていました。
でも下がらず変だなあとは思いましたが
そのうちお薬が効くだろうと思っていました。

なんとも下がらず3日目の朝
呼吸も荒くなり苦しいというので
もう一度医者に行きました。
ですが診断は同じ
そのまま帰されましたが目まで真っ赤です。

不安でどうしようと思っていたところに電話が
看護士をしていた友人がパソコンを教えて欲しいと
電話が有り来てくれることに

「助かった!」と思いました。

来てくれた友人は次男を見るなり

「ダメよ大きい病院に連れて行こう」

すぐに見てもらえるよう隣町の医師会病院に電話してくれて
彼女の車で向かいました。

病院に着くとふらつき歩くこともままならず
ベットを用意していただきました。
手足や目の下にチアノーゼが出てきて
すぐに診察していただきましたが
血圧も測れないほど低下して
若い看護士さんが「計れません」と
医師が「だいたいでいいから」と

64くらい・・・・」と

私は「エー!!!

でも次男は意識も有り医師の問診に答えているのです。

レントゲンの結果が出て
肺の2/3くらいは真っ白なのです。医師が

専門の病院で診察してください、重症です

救急車で搬送されることになりました。

普通で行くと1時間はかかる総合病院へ
救急車で30分でつきました。
救急車に乗ったときは息子も「マジで?」と言う感じで
付き添ってくれた看護士さんが「我慢するからよ」と
私はおろおろするばかり
息子は救急隊員の方の問診にも答えていました。

病院について救急センターに入った息子に次に合えたのは
入院が決まり病室に移る際のベットにぐったり横たわる息子。

呼吸器内科専用集中治療室に入り
灰の中を洗い出した水から中の菌を調べる検査

「検査が苦しいので自発呼吸が出来なくなる恐れが有ります」と
「その際は人工呼吸をします」と
何も出来ないは私は返事をするのみ

原因がわからず

あらゆる検査を「これをします、あれをします。承諾書を」と
入院の手続きは手が震えて思うように書けませんでした。

「息子は助かるの?」これしか頭の中に浮かばないのです。
医師の説明も聞いているときはわかるのですが
後で入院病棟の看護士さんに「なんと言われましたか」と
聞かれても覚えていないほどです。

薬物関係やHIV感染、レジオネラ、マイコプラズマなど
自分とは関係ないと思っていたようなことばかり並べられて
疑いがあるから検査の承諾をと

学校と仕事、遊びも随分とエスカレートしてきたが
「そんな事になっているの」とショックを隠せませんでした。
友人が「原因がわからないから考えられる検査をしてるだけだから」と
慰めてくれますが、どうしょうも有りません。
ショックでした。

とりあえずの診断は「異型肺炎」
友人も医師の説明を聞いてくれたから主人にも説明がつきましたが
本当に頭の中が真っ白でした。
朝から夕方までかかって次に会えた息子は
両手両足をベットに縛られて口に人口呼吸器の管が
動くと危険なので麻酔がされている

すべて承諾書は治療の後で書かされました。

なんて姿に・・・・
命に別状はないといわれて
ホッとしたもののこの状態がいつまで続くのかと
不安でいっぱいに

付き添ってくれた友人がいなかったら私も倒れていたかも

幸いにも回復が早く2週間の入院で退院できました。
今は普通の生活をしていますが
この騒動の続きはまた書きます。



posted by えんじ at 17:24| Comment(6) | TrackBack(0) | 次男のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月29日

兄妹 長男と長女に対して

3人兄妹の真ん中の次男が不登校になって
最初は兄妹の事を考える余裕はありませんでした。

当時長男は高校生、娘は小学生4年生でした。
長男は次男と6歳年齢が離れていましたから
いっしょに車の話やゲームの話はしていましたが
お互いどこか一線を引いている気がしました。
マイペースな長男には余り干渉する気がないように見えました。
娘も上2人が男兄弟で長男とは10歳、次男とは6歳年齢が
離れていましたから一人っ子のような感じでした。

私たち親は長男には余り気を配らなかった気がします。
今の状況を話し「兄妹には迷惑を掛けないよう
自立出来るよう考えているから」と話しました。
長男は短大を卒業後埼玉の会社に就職し寮に入りました。
時あるごとに今の状況を話して聞かせていました。
「高校はどうするの?高校だけは行っておいた方がいいよ」と
長男が話した事があっただけで普通に接してくれていました。

小学生だった娘には気を使いました。
家でゲームをして学校へ行かないお兄ちゃん
どう見えるのか不安でした。
娘が何も言わない事をいい事に私は普通に接するように
努めていました。
娘が学校から帰ると次男とゲームをしたり
二人で遊んでいる事が多かった気がします。
日曜日などは私と3人でサイクリングに出かけたりしました。
主人も休みの日は無理の無い程度に次男を外へ
連れ出すようにしてその時は娘もいっしょに出かけていました。
はじめて娘に「どうしたの?」と聞かれた時は
「何か有ったんだろうけどまだ話す気になれないようだから
お母さんたちはもう少し様子を見てみるからね」と
娘が5年生になった時少し登校を渋った時が有りました。
その時は「毎日学校へ行くのは大変だね。」
「でも登校できないのも大変なんだよ」
「皆は普通に学校に行くけど、行けないで悩んでるのも
とても辛い事なんだよ」と「風邪で休んだりして登校する次の日って
少し勇気がいるじゃない?」なんて感じで話した気がします。

娘に「学校へ行きたくない」と言われたら
私たちは「正面から行きなさい」とは言えないなあとよく主人と話しました。
やはり「お兄ちゃんは良くてどうして私はダメなの」と言う事に
なるからです。
それでもやはり娘には学校へ行ってほしかったです。
だから結構ハラハラしていました。
その思いが通じてしまったんでしょうかね。
娘も中学を行かない事になってしまいます。

今、高校1年(通信制)になった娘は「学校へ行ってほしかった?」と聞きます。
「行って欲しかったよ」というと「どうして?」と言います。
「それが楽だとお母さんは思うから」というと
「ふうん、私はこれでよかったと思っている」と
「それはそれでいいのよあなたの人生だから」
「お母さんたちは学校へ行かせる事は出来てもあなたの人生を
背負う事は出来ないから」といいました。

こんな感じでその時その時を話してきました。



posted by えんじ at 23:15| Comment(5) | TrackBack(0) | 次男のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月25日

”甘え””甘やかす”って

次男に”学校へ行きたくない”と言われ
一番、判断に困ったのは”甘え”や”甘やかす”という事。


主人ともずいぶん意見が食い違いました。


主人は「甘えでないとしてもここで強い態度が必要」と

気持ちのどこかに「”なんとかなる”がある」と

そうですよね、そう思えてもしかたないです。


朝は起きないし、休みと決まると普通に生活してるし
誰が見てもずる休みに見えるし

この時間を通り抜ければ何とかなると思っていると
思えました。

「明日は行くよ」というのです。
でも夕方から夜に掛けてまた暗く、イライラしてるんです。

何度、学校へ行かないという事がどんなに自分にとって
大変な事か説得しても

どんなに怒っても
無理やり学校へ送っても


本人が黙るばかりでどうにもなりませんでした。

主人も困り果て

「1日、休めば次の日が気まずく結局行けなくなる」と
「続けて休ませてはダメだよ」と
私もそう思いました。


自分も風邪で休んでも休んだ次の日は普通に
気まずい感じで行きづらいものでした。

保健室登校や部活だけの登校
午前中だけの登校
2・3日、登校したら1日休んだらどうかと
担任の先生からも色々選択を出してもらいました。


1・2日は登校しましたが
やはりだめなのです。

ここで母親が強く出るべきなのでしょう。

主人の両親と同居の私は両親の手前、次男を叱り
登校させようとしました。

でも、気持ちは「こんな事をしても行くわけがない」と
思っているんです。

わかっていながら怒る私は最低です。


こんな毎日の繰り返しなんです。
家族の中も口数がすくなくなりました。

この状態で学校を休ませるのは甘やかす事になるんでしょうか?

少なくとも次男は何かが原因で心が病んでる。

誰にも話さず自分の気持ちの中にしまったままで

その事でまた主人と意見の食い違いです。

「誰しも悩みを抱えて生きてるんだ」と
「学校へ行きたくないということで逃げてたらどうする。」と
その通りなんですが、

人が皆、耐えられるものではないと思いました。
いろんな思いがあるから、計り知れないと思うのです。

次男を元気にしないと!!
私にはこれしかありませんでした。
家族もおかしくなると思いました。

主人に「心が元気にならないと何も出来ない」と訴えました。
かっこいいような言葉ですが

私は毎日次男を見ていてそれしか考えられませんでした。

心が元気になれば考える力も出来る

行動する事が出来れば自信もつくと思ったのです。

単純ですが。

”甘え”や”甘やかす”ことに悩むよりも

子供を信じる事に努力しようと。

危なっかしく頼りない
まだまだ子供と思っていますから

信じるという事はたやすい事では有りませんでしたが
親も苦しんで変わらないと思ったんです。

子供を信じてみようと思ったときに
”甘え”や”甘やかす”という言葉が気にならなくなりました。



posted by えんじ at 12:30| Comment(1) | TrackBack(0) | 次男のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月02日

なぜ学校へ行けないの?

いつも思いついたことばかりで纏まりの無い日記で。

あるお母さんがお子さんの不登校の原因について
悩んでおられました。

私も次男が学校へ行かなくなった時
理由を随分と問いただしました。親の私に原因があるのかと気になりました。
結局は自分の自己満足のために聞いたのでしょうか?
「お母さんのせいじゃないわよね?」みたいな思いで聞いたのでしょうか?
いじめも心配でしたし、
何度も「一体何が有ったの?」
「どうして?」と聞きましたね。
でも息子は首を振るだけで「何もない」と言うのです。
それでも「何も無いわけが無いでしょう?」みたいな思いで
折を見ては問いただしていました。
原因がわかれば対処もあると思い、必死でしたね。

ですが息子の場合はわかりませんでした。
後で息子の話す言葉のはしはしで察すると
友人関係も原因のひとつだっように思われます。
「お母さんがもっと強く学校に出してくれれば行けたのに」と
「教室に入るまでがしんどかった」と
「教室に入ってしまえば何とか大丈夫なんだ」と
今になって言いますが
あの時はとても無理でした。
お父さんが車に無理やり乗せて無理やり降ろして
学校へ行ったことも担任の先生が迎えに来て
やはり無理やり行ったことも柱にしがみついて
行かないと泣いてたことも有ったのです。
歩いて一緒に登校したことも学校が見えると
一歩も前に進めず涙があふれてくるのです。
私も涙をこらえて一緒に家に帰る、そんな状態でした。

私が「なぜ?」と問えば問うほど暗くなっていくんです。
私が「どうしてこんな事になってしまったの?」と嘆けば嘆くほど
息子は罪悪感を感じ自分は悪いことをしていると落込んで行くんですね。

今思うと悪い母親でした。追い詰めてしまって。
息子にも言葉に出して言えるようなはっきりとしたものは
無かったのでしょう。言いたくとも表現できなかったのでは
ないかと思っています。

親は登校できない現実を受けとめ
登校できずに悩む子を認めて

これからをどうしたらよいか考えなければ行けなかったのです。
子供が今のままではダメと判断した一つの要因と
受けとめ親も受け入れて将来に向けて
一緒に考えていく姿勢が大事だと思いました。

親の子育てには自分がこうだったから子供には見たいな
夢や希望がいっぱいで、何でもしてあげたいとがんばっていましたが
それは全部、重荷なんでしょうね。
私達はそんな思いを捨て見栄も世間体も捨てて
この子が自立できるようにどうしたらよいか
息子の歩みに合わせようと考えました。

”見栄も世間体”そんな対したものは無いのですが
田舎暮らしの小さな町では結構、気にしてしまうんです。
不登校の子も珍しい感じでしたから。

登校できない原因よりも
これからどう生きていくかの方がとっても大事なんだと思います。




posted by えんじ at 13:18| Comment(2) | TrackBack(0) | 次男のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月19日

変化をみいだす為に

犬を飼い始めて次男の1日の時間に
少しづつ決まりが出来てきました。

それまでは起きる時間が決められているだけで
何をしても自由な1日です。
誰も何も言いませんしゲームし放題でも漫画見放題でも
誰も怒りません。
さすがに祖父母は「どうするの、こんな調子で」と
言ってきます。その時も「心配かけますがもう少し時間を下さい。」
「きっと動き出します」と内心は不安でしたが言い切っていました。
「そんなんだから子供がだめになる」
「親がしつけがなっていないから子供が勝手なことをしている」と
親戚やら近所の人やら言われました。
でもその親戚が何をしてくれるのでしょう。
近所の人が何をしてくれるのでしょう。
「遊びにおいで」と言ってくれても
行けば「こんな生活をしていてはだめ学校へいきなさい」と
お説教です。それで沈んだ気持ちになって落ち込み
それを盛り上げるのも親の役目です。
誰の力もアドバイスも受けないというのではないのです。
どんな言葉も受け止めます。それを理解するには
息子には時間が必要だったのです。

子供も私達親も充分承知しているんです。
でも子供は何をしていいのかわからないのです。
自分で見つけなければ歩めないのです。
自分の行動から良いことも悪いことも学び判断して
進む力が必要だったのです。
それには親や教師、周りの人の
「こうしなさい。」「こうしないとダメになるわよ」
「こうすればいいのよ」「ガンバリなさい」は
息子にとって励ましにもアドバイスにもならないのです。

わがままに見えるでしょうがそんな中から
パソコンに興味をもち始めました。
それまであまり興味を示さなかったのですが
もともと車が大好きな子なので
車について日記をつけ始めました。
その中で世代を超えていろんな方とお話をして
世界を広げていきました。

パソコンは引きこもるとか
人とのコミニュケーションにかけるとか言われますが
そんなことばかりでは有りません。

充分、相手の気持ちになって物事を考える点や
自分を表現して受け入れてもらう点など
顔が見えないだけに文章や返すタイミングなどで
人柄や誠意が感じられ、勉強になったようです。

犬の散歩にパソコンの時間が加わりました。



posted by えんじ at 13:26| Comment(2) | TrackBack(0) | 次男のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月16日

親も励まされて

次男の望むハムスターは飼って上げられませんでしたが
何とか犬を飼うことが出来ました。

少し私達両親もホッとしましたが
これから何かが変わる保障はどこにも有りません。
ただただ、毎日を見守るしかないことは
変わりが有りません。

ですが校長先生や担任の先生に
「よくがんばりましたね。」と励まされたことが
また、私達のがんばりに繋がる物で
励みになりました。

校長先生の「学校へ来なくてもいいと考えられませんか」
この言葉を聞いてその後の行動から
この先生なら信頼できると思いました。

後に校長先生にこのことをお話しました時に
「親御さんのがんばりと私達教師を信頼してくれたことが
良い方向に進んでいったのでしょう」と話してくださいました。

なぜこの先生を信頼できたかと言う
エピソードを一つ上げたいと思います。

ある日先生が次男に会いに来て下さいました。
次男の話を聞いてわからないことは
わからないと次男に聞いてそうかそうかと納得して
がんばってるなと励ますのですが
それだけではなく注意する点や変えていく点もしっかりと
説得ある言い方で話していきます。
これは親も聞いていて参考になりました。
そして先生は話の中に出てきた
次男の好きな飲み物で「カフェ・ラテ」と言うのが有りました。
職員室で先生が飲んだことが無いんだとこのことを話題にしたら
一人の先生はインターネットで調べ
外出した先生達が買ってきたそうです。
何本か揃ったので皆で分けて飲んだ話を担任の先生から聞きました。

硬いイメージの校長先生・職員室・先生方を
信頼しても良い気がしました。



posted by えんじ at 13:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 次男のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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